みなさんこんにちは。広島大学文芸部(@DieBuribunken)です。
3/14から3/18にかけて、Twitterのほうで新入生向けに本を5冊紹介したのですが(https://twitter.com/DieBuribunken/status/1371133715741478919?s=20)、 Twitterの使用上、ツリーの全部が見えにくかったり、5冊全部を一目で見るのが難しかったりします。
#春から広大 #広島大学
— 広島大学文芸部 (@DieBuribunken) 2021年3月14日
大学生になったら何をするべきか?と問われれば、それはもう本を読むべきだという答えに尽きるのですが、何を読んだら良いか分からないという人のためにも、これから毎日一冊、総計五冊くらいを簡単なレビューと一緒に挙げたいと思います。
そういうわけですので、文化サークル連合のブログをつかって見やすくまとめて紹介します。なお、紹介文はTwitterで最初に書いた際の文章とは部分的に異なっていることもありますので、悪しからず。
【一覧】
③夏目漱石, 『それから』(色々ありますが、入手しやすい版は新潮文庫版でしょう)
④シャルル・ペギー, 『クリオ 歴史と異教的魂の対話』(河出書房, 2019)
⑤木庭顕, 『誰のために法は生まれた』(朝日出版社, 2018)
「文学とは何か?文学は何のためにあるか?」
よく問われる、そして意外に答えにくいこの問いに真剣に取り組んだ本だと言えるでしょう。とはいえ語り口は優しく、読みやすいので、この問いに悩んだことのある人ならば共感を持ちながら読み進められることと思います。個人的には「文学など役に立たない」という人に読んでもらって、読書感想を聞いてみたい気持ちもあります。
「それは非常に論理的な意見だ」「あの人は論理的な人だ」
…こうした用法で「論理的」という言葉が使われているシーンをよく目にしますが、しかし「論理的」とはどういうことなのでしょうか?「論理的」という言葉を「冷静だ」「説得力がある」程度の意味だと思っている人は多いのではないでしょうか?
しかし実は、「論理的」である主張はそうした情感とは必ずしも結びつきません。論理的であるということはまず第一に主張を論拠(根拠)と結論に分けるということ、一定の論拠から正しく結論を導きだす特定の手続きのことをいいます。
そのため、「論理的」であるというのは、私達が、直感や一般的な生活感覚によって「説得力がある」とか「納得できる」とかいって、何事かを支持したり反対したりするのとは、全く異なります。それならば、私達が「納得できる」「説得力がある」と直感しただけのことや人を「論理的だ」と呼ぶのは、全く非論理的な態度だと言えるでしょう。
論理とは何か、ということを学べば、あなたの思考が格段に明晰になることが期待できます。それは自分が何かを主張する際もそうですし、相手の主張を咀嚼して理解するためにも役立ちます。どの学部、どの専攻でも学んで必ず損をしない論理学をこの本からはじめてみませんか?この本では、論理式が日本語に文章化されて書かれていますので、数学が苦手だった、という方にもおすすめです。
「明治知識人の恋愛とその悲劇を書いた作品」と解されることの多い作品でありますが、果たしてこの小説はそうした意義にとどまるのでしょうか?主人公・代助とヒロイン・三千代を取り巻く人間達の、よく言えば生々しい、率直に言えば社会や人間の汚さを圧縮したような生き様は、ここまで綺麗に書き出せば見事なものです。あらためて漱石の社会や人間に対する観察眼の鋭さには驚かされます。
小説の最後に代助と三千代が辿ることになる結末からは、個々の人間に対してだけでなく、こうした「汚い」人間を再生産し続ける社会構造全体に対する漱石の強い批判意識を感じます。私達が『それから』を読んで「こういう奴、現代にもいるよな」「現代にもこういう問題があるよな」と感じるということは、残念ながら、漱石が批判的に描き出した当時の日本社会から今の日本社会はさほど変わってはいないということなのでしょう。
なお、以上のようなことを考えずに読まなくとも普通に面白く読めますし、終盤は緊張の連続でハラハラします。
④シャルル・ペギー, 『クリオ 歴史と異教的魂の対話』(河出書房, 2019)
2019年にようやく完訳が出版された、カトリックの思想家シャルル・ペギーによる渾身の歴史論エッセイ。老女クリオによって語られる歴史、そして老いの問い。この書物において意味されることとは、歴史における真理と共存する「老い」の経験である。 「算術的な」時間の目盛りで歴史を語ったり、あるいは歴史を(教師として)教える行為によって間違いなく真理の輪郭をなぞることは可能であろう。しかしそのことしか出来ないのではないだろうか。
一方、出来事の稼働的現実を老いとともに体験することができること、すなわち、自身の記憶に宣誓を行い、持続の中で老いることで歴史を追体験する。(読書時の自分の感想から引用。)
印象的なのはこの一節。
何も起こらなかった。それなのに世界は相貌を変え、人間の悲惨も変わった。自分は何を語ってきたのか、自分で自分に問うてみる。それなのに何も思い出せない。(ペギー, p.392)
⑤木庭顕, 『誰のために法は生まれた』(朝日出版社, 2018)
法とは何か?何のためにあるのか?法を「社会秩序を守るための決まり」だと理解している人は多いのではないでしょうか。しかし、ギリシア・ローマの歴史を研究する立場から、筆者は違うと言います。元来何のために法が生まれたか。その目的のために、法はどのようなものを問題とみなし、立ち向かうか。『近松物語』(溝口健二)、『自転車泥棒』(ヴィットリオ・デ・シーカ)など、名作を通じて筆者ははっきりとそれを描き出します。
「映画や文学は法(律)とは関係ない」?この本を読んだ後なら、そうは言えないでしょう。文学や演劇の社会的意義についても示唆的で、文学に関心がある方はぜひ読んでほしい一冊です。
以上5冊になります。1冊にでも興味をもった方、すでに読んでいるという方は、ぜひ文芸部にいらしてください!一緒に議論しましょう。