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広島大学文芸部 2022年度の5冊本紹介まとめ

みなさんこんにちは!広島大学文芸部(@DieBuribunken)です。

 

三月の中旬にかけて、上のツイッターアカウントで、新入生向けに5冊本を紹介しました。新入生の方もそうでない方も、興味をもっていただけたでしょうか?

 

今回紹介した5冊(そしてこの記事で再訪する5冊)には実はコンセプトがあって、一言で言えば「科学的思考とは何か」というものです。

 

「科学的思考」と聞いてみなさん真っ先に思い浮かべるのは、「データに基づいた発言をする」とか「統計に基づいた発言をする」とかいった態度ではないでしょうか。そういう態度が「科学的」なのだと。

 

しかし実は、科学的思考というのはもっと広い意味をもっています。科学的思考というのは、原理的には、「一定の経験的事象を実験、検討することによって、その中の再現可能な法則(物理法則とか自然法則とか言っても良い)を見出す営み」のことを指します。

 

統計やデータとか言ったものは、こうした思考を適用した結果導き出された一つの結果にすぎません。

 

統計やデータ「そのもの」が「科学」なのではなく、むしろそれをつくるまでの思考のあり方の方が「科学」なのです。したがって、科学的であるかどうかを左右するのは、データや統計そのものではなく、それがつくられるまでの過程の精度です。データや統計があるからといって「科学的」だとは限らないというのは、こういう理由です。

 

例えば、一つ例をあげましょう。

 

あなたが何か現実の出来事に対して意見を言いたいとしましょう。

で、あなたは自分の主張を補強するための根拠が欲しい。

だからちょっと検索してデータを探したら、ちょうど自分の考えを補強してくれるようなデータを見つけることができました。

だからあなたはそうしたデータを提げて主張をします。主張にデータまで備わっているのだから、自分の主張は科学的だ…

 

こういう経験を思い当たる人はいないでしょうか?

 

しかし、データや統計がどういう手続きでつくられたものであるかも検討せずに「自分の言いたかったことに沿っているから」と飛びつくようでは(結果としてそのデータや統計が正しかったとしても)、あなた自身の態度は「科学的」とは言えないでしょう。

 

万が一、偶然結果が正しかったとして、「結果的に正しかったから良いじゃないか」というのは、博打をしている人間が何も考えずに博打に突っ込んだ結果理由はよくわからないがとにかく勝てた、そのことをもって「勝ったから良いじゃないか」と言っているようなものです。今回は勝てたとしても、では次回は?という問題が当然湧いてくるわけです。

 

重要なことは、この例えの場合には「なぜ勝てたか」「「勝ち」の法則はあるか」を具体的に検証することですし、その検証がどれだけ適切かということにあります。そしてこの思考が常に根づいていれば、何に相対しても、大きく失敗するということ、外れるということはないでしょう。

 

ざっくりといえば「科学的思考」とは「問い直す、考え続ける」ことを意味し、「絶対に正しい答えを与えてくれる」という通俗的な科学のイメージとは、実は全くかけ離れています。

 

前置きが長くなりましたが、紹介に移りましょう。以上のような「科学的思考」の具体例、あるいは一つの側面を表すものとして以下の作品を読んでいただけると、面白いと思います。もちろんこれも一つの読み方で、絶対的な読み方ではありませんよ!

 

改めて、5冊の本紹介

①『Dr. STONE』

https://www.shonenjump.com/j/rensai/drstone.htm

www.shonenjump.com

 

漫画と思って侮るなかれ、この作品は、主人公である石神千空を通して「科学者とはどういう存在か」ということを、これでもかと正確に示してきます。

 

「試しまくって地道に探り続ける」姿勢、再現性を求めるのが科学であるという姿勢、そしてその科学によってもたらされる豊かさ…

 

そしてこの作品のもう一つのみどころは、千空に代表されるような「科学」と対立する思想が散りばめられていることです。

 

「科学でもわからないことはある」、「科学=魔術のように見る傾向(現代でも「科学は絶対」「科学以外信用できない」とかいう心情があるのではないでしょうか)」、「増えすぎた人類は支えられないので、選別しないといけない」、「科学によって衆愚を導く」…いずれも、現代でも言っている人が居そうな思考です。こうした主張に千空がどう答えていくのか?というのも、見所になります。

 

個人的には、全国の小中学校に『まんが 日本の歴史』や『はだしのゲン』とかと並べて置いても良いレベルだと思います。圧倒的におすすめです。

 

 

②『チ。地球の運動について』

https://bigcomicbros.net/work/35171/

bigcomicbros.net

 

ストーン・ワールドにおいて千空がする科学には何の障害もありませんが、中世を舞台にするこの作品では、事態は全く異なります。天動説を公式見解にする「C教」が権力を持ち、それに反する地動説は弾圧される世界。そうした中で地動説という「真理」を追い求める人たちは、どう生きるのか?

 

ところで有名な思想家トマス・ホッブズは、「三角形の角の合計が180度であることを否定する人間はいないが、もしそれが領主の領地の測定などに重要な意味を持つようになった場合、事情は変わるだろう」と言いましたが、この作品はまさにそういう状態です。(ちなみにホッブズも現実に、唯物論によってスコラ学を批判した人物です)

 

しかしこの作品を読んで、「現代は科学が尊重される世の中でよかったなあ」と安心するのは危険ですよ!現代でも「常識」や権力者の利害によって、科学が否定され歪められることはよくあることなのですから。

 

 

③木庭顕『クリティック再建のために』

『クリティック再建のために』(木庭 顕):講談社選書メチエ|講談社BOOK倶楽部

 

科学的思考とはそもそもどうやって誕生したのか?どういうものなのか?

 

しかしその前に、物理法則を追い求めるという厳密な意味での科学的思考に限らない、極めて広い意味での批判的思考のあり方があるのではないでしょうか。

 

その質はともあれ、私たちにとって「因果関係」(こうしたらこうなる)や「論理」を考える、という思考プロセスは「当たり前」であるように感じます。しかし人類史を見てみれば、決してこうした思考がどこにでもあったわけではないことが、明らかになるでしょう。木庭氏はこうした「クリティック」の様々なヴァージョンを一望する、非常に大それた著作をものしています。

 

さらに木庭氏は、「クリティック」の誕生がギリシアでの「政治」の成立にとっていかに決定的な役割を演じたかということ、こうした思考が現実の「政治」とどのような関係にあったか、ということまでもを論じます。「科学と政治は別」と思う方も、「どうすれば政治が利益の競合ではなく合理的なものになるか」と悩む方も、読んで後悔しない本でしょう。

 

(もっと詳しくは、木庭氏による『政治の成立』ほかの著作も読むと良いでしょう。巻末に木庭氏のブックリストもありますので、ぜひそっちも見てね)

 

 

丸山真男『日本の思想』

https://www.iwanami.co.jp/book/b267137.html

www.iwanami.co.jp

 

第二次世界大戦終了に至るまでの日本の思想状況の構造を概括した、あまりにも有名な本。多分ここで紹介されなくても教員から紹介されるのではないでしょうか。

 

とはいえ通俗的に言われているのとは異なり、丸山真男の作業は「西洋中心主義」「近代主義」「無い物ねだり」ではありません!

 

日本には上のような意味での科学的思考がいかになかったか、一見正反対だが科学的思考を拒否するという意味では同じ穴の狢である、知識人の「実感信仰」「理論信仰」がいかに横行していたか。そうした態度が結局、日本の戦前の体制のあり方に抗しきれずに、いかに迎合していったのか…日本の「知」のあり方から社会構造までを縦横に論じる論旨は、浩瀚にして明快で、まさしく「古典」の名にふさわしいものです。

 

「科学的思考」がいかに日本にはなかったかというものとして読むと、解像度は一気に上がります。

 

 

夏目漱石虞美人草

https://www.shinchosha.co.jp/book/101010/

www.shinchosha.co.jp

 

法学もまた、ある意味では科学に似ていて、法律のもとに出来事を関連づける推論を主にする体系でありますが、では法律家は別にその技術にだけ精通していれば良いかというと、全然そうではありません。むしろ、だからこそ「現実に起こっているこの問題が何であるか」を感じる敏感さが必要なのです。科学者が「既存の法則で説明できない」ことをテコにして新しい法則を探し始めるのとも似ています。

 

さて、この作品では、硬直した職業的法律家の姿を体現したかのような「浅井君」が登場します。ある意味で漱石の「近代日本批判」の一面が覗く本だと言えるでしょう。

 

科学においては、決して予定調和のように法則が発見されるのではなく、突拍子もない思いつき、偏見とも言える思い込みが土台になって、新しい発見がされることもあります。漱石はこの著作の中でこの問題に本格的に取り組むわけではありませんが、こうした可能性、「想像力」といっても良い、を軽視する存在として大胆に造形された「浅井君」は、法学に問いを投げかけているかのようです。

 

(こちらを大いに参考にしました)

コラム41:浅井君の勘違い|運営委員・相談員のコラム|学習相談室|東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

 

www.j.u-tokyo.ac.jp

 

 

文芸部に入ろう!

いかがでしたか?一冊でも気になった方、ぜひ文芸部に声をかけてください!一緒に本を読んで、議論していきましょう!