毎年11月に広島市内(メイン会場:NTTクレドホール)で開催される広島国際映画祭は、優れた短編の紹介により、これまでに、ダミアン・マニヴェル、ウジェーヌ・グリーン、
今年度も、中国・韓国・インドネシア・カンボジア・日本・台湾から6本の作品が厳選され、コンペティション部門形式で上映が行われ、中国作品『囲碁教室』(ロジャー・シュエ監督)が最高賞に輝いた。どの作品も、作家性と社会倫理に対する鋭い考察を両立させた作品であるが、『囲碁教室』は白黒スタンダードによって美学的な側面が強かったことが、評価の基準とされたのであるだろう。
だが、優れた映画に欠かせない倫理性という点を考えるならば、本記事ではやはり『ゴム採取者』(ロタ・モエン監督)を取り上げることが必要であるだろう。リティ・パンがプロデューサーを務め、50歳の新人が作り上げたこの短編は、少数民族クルン族の少年の目線を通して、フランス統治下からベトナムとの対立、ポル・ポト(第一同志)率いるクメール・ルージュによる大虐殺を経た、カンボジアの地方の残酷な現実を明らかにしている。モエン自身、9歳でクメール・ルージュの大迫害から逃れるためにタイに避難し、その後帰還を通じて、自らが少数民族「スロック」の出自であることを知ったのだという。クメール・ルージュの大迫害から第一同志の失脚を経て、カンボジアの首都プノンペンは港湾都市として大きな発展を遂げることとなる。だが、その中で資本主義は貧しき者を排除し、時代の流れから取り残す形となった。モエンがプロデューサーとして関わり2021年のベネチア国際映画祭・東京フィルメックスで上映された『ホワイト・ビルディング』(ニアン・カヴィッチ監督)は、まさにそうした中で一つの建物の取り壊しをめぐってもがく若者たちの肖像を、丁寧に描いた秀作であると言える。
モエンは今回初監督した作品で、プノンペンから遠く離れた場所をめぐった歴史の記録の解読を目指している。主人公の少年は、クルン族が代々行ってきたゴム採収で生計を立てる親を見つめながら、民族の言語とフランス語を話すことができる。フランス語は、リティ―おじさんというまさにモエンの師を彷彿させる男(彼は最近、自作でフランス語で第一同志を演じてもいる…)とコミュニケーションをとるために必要な言語であるが、このことは地方都市が未だにフランス統治下の植民地支配の記憶を引きずっていることを意味するだろう。リティ―という男は、地主の息子という完全に労働者の敵のとして登場し、良心の呵責を抱えながらも、労働者への搾取に加担している。フランス語を話し労働者を弾圧するという第一同志のActを、キャラクターや自らが再現することで可視化する方法はリティ・パンも行っているのだが、モエンは「アーカイブ」映像を活用する以外の方法を模索していたのだろう。本映画は、子供の目線・先住民族への弾圧に目を向け続けることで、カンボジアの受苦の歴史で(アーカイブ映像として捨象され、細かい分析が向けられることの少ない)側面を明らかにした。その中で、ラストシーンが師の2016年の作品である『エグジール』の見事な再現であることは、一種の皮肉であるのかもしれない。だが、歴史の悪夢から脱出できないというカンボジアの映画の文脈を丁寧に受け継いだモエンの作業は、長編という形でより発展的に結実するに違いないだろう。『ゴム採収者』は、先住民族というアイデンティティを生かすことでカンボジア映画の可能性を開いたという点で、今後ますます着目されるべき作家ロタ・モエンの華々しい登場を表す作品となったのである。
(小城大知:映画研究、表象文化論)