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広島大学文化サークル連合の公式オンラインジャーナルです。

Cinéma du réel 2024報告

2024年度のベルリン国際映画祭は、パレスチナ虐殺に反対する映画作家たちの怒りに正面から向き合えない中で開催されたことにより、世界中から多くの批判が殺到したことが印象的だろう。その中で、とりわけ授賞式(CET 2月24日)において受賞者たち(マティ・ディオップ、ベン・ラッセルなど)が示したパレスチナへの連帯発言を、ベルリン市長が「耐え難い相対化」や「反ユダヤ主義」(anti-semitic)と非難し、ドイツ首相が「一方的な立場」と呼称した事例は、ドイツという国家がユダヤ人大虐殺の歴史を反省するのではなく、シオニズムや文化的ジェノサイドを正当化する立場をとったことを意味するのである。そこからさらに踏み込んで指摘するならば、この余波はアカデミー賞授賞式にも波及し、3月10日(現地時間)に開催された授賞式で、国際長編映画賞を受賞した『関心領域』(ジョナサン・グレイザー監督、2024年5月24日公開)の監督スピーチが、「反ユダヤ的」であるというレッテルを貼られ、ユダヤ人クリエイターによる公開書簡まで作成されるという騒動に発展している。しかし、このような行為こそ自らが受苦を受ける根幹となった帝国主義的なふるまいそのものであり、ベルリン受賞者やグレイザーらは帝国主義戦争による虐殺をやめろというまったくもって正当な発言をしているに過ぎない。

www.zeit.de

 

幸いなことにそのような中で開催されたベルリン国際映画祭の審査員たちがとった立場は、文化的ジェノサイドに対抗するというものであった。今回受賞した作品は、奇跡的にもCinema du réel2024の上映作品+受賞作品でもある。ここから先簡単に作品内容に関する報告を行いながら、戦争情勢の中で開催された本映画祭を振り返っていきたい。

 

・オープニング:マティ・ディオップ『Dahomey』

今年度のベルリン国際映画祭金熊賞(最高賞)を受賞した作品は、セネガル出身の映画監督マティ・ディオップの新作『Dahomey』(日本公開未定)であった。そしてこの作品こそが、本映画祭のオープニング作品となったのである。
マティ・ディオップ監督は、『トゥキ・ブキ/ハイエナの旅』(1972)といった作品で知られるジブリル・ジオップ・マンベティの姪でもあり、クレール・ドゥニの『35杯のラムショット』や『パリ18区、自由、夜』といった作品に出演する女優として活動したことで知られている。その後2019年『アトランティック』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞し鮮烈な長編映画監督デビューを果たした。
ディオップ監督の新作『Dahomey』は、1892年にフランス本国によってダホメから収奪された美術品が2021年に返還された様相を描くドキュメンタリー映画である。芸術作品の返還は、返還されたらそこで終わりではない。その先の社会的課題が存在する植民地主義は、単なる物理的な収奪にとどまらず文化や精神まで収奪されていることが後半部分の学生たちの議論によって喚起される。植民地主義批判と同時に忘却された文化をいかに取り戻すか。本作品は、この問いにシネ・エッセイ映画形式を彷彿とさせる民族のナレーションを活用しながら思考する。夜の都市を映し出す中でファンタジー的要素も融合された秀作であったといえるだろう。

『Dahomey』(マティ・ディオップ監督)

コンペティション部門

今年度は、コンペティション部門に関する編成が行われた。具体的に言うと、昨年までインターナショナル・コンペとフランス・コンペと2つに分かれていた本部門を、一つに統合しコンペティション部門を統一したという変化である。その中で例年IDFA(アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭)やベルリン国際映画祭でワールドプレミアされた後、本映画祭でフランス初上映になる作品も多いのも特徴的である(この詳細は、昨年の拙報告をご参照いただきたい)

 

hirodai-bunsa.hatenablog.com

 

さて、本映画祭のコンペティション部門作品では多種多様な作品が上映されるも、その作品の大半は日本に紹介されぬままである。そのため、ここから先は受賞作品を中心にいくつかの作品に絞って振り返っていきたいと思う。
今回の最高賞は、ベン・ラッセルとギヨーム・カイユーが共同監督した216分の大作『Direct Action』であった。本作品はベルリン国際映画祭エンカウンターズ部門でも最高賞を受賞し、本映画祭でも続けて受賞するという快挙を成し遂げた。本作品は、ベン・ラッセル特有の長回しを用いて、フランスにおけるZADの運動体コミュニティーの形成とその苦闘を描きだす。理念は素晴らしいといえるが、労働の様子を長回しで映し出すことは現代のドキュメンタリー映画ではそこまで特殊なものでもなく、闘争の様子が多く描かれる前半部と最終部以外は、やや失速気味で長たらしく、野暮な感じをも覚えてしまったのは残念であった。2-30分ほど削れば傑作であったのは間違いない。

『Direct Action』(ベン・ラッセル&ギヨーム・カイユー監督)

もっとも鮮烈な記憶を残した作品は、国際長編賞を受賞したクムジャナ・ノバコワ『Silence of reason』である。戦争は、女性の尊厳を傷つけることは自明のこととして理解されるが、その中で本作は収容所におけるレイプ収容の悪辣な事例をフッテージのみで示そうとする。重要なのは、監督本人によるインタビューが加わったり新規に撮影されたもので構成されるのではなく、あくまで彼女たちの肉声とわずかばかりの映像フッテージのみで構成されることである。4:3で映し出されるフッテージは、大きな感覚やビデオの青画面による不在をも強調する。しかし不在こそが映像の持つ力となる。

『Silence of Reason』(クムジャナ・ノバコワ)

日本からの受賞作品として、短編スペシャルメンションを受賞した、西川智也『LIGHT, NOISE, SMOKE, AND LIGHT, NOISE, SMOKE』を挙げておきたい。西川はアメリカを拠点に実験映画作家・研究者(ラリー・ガットハイムの研究で知られる)、キュレーターとして恵比寿映像祭やアナーバー映画祭のキュレーション、実験映画を見る会(日本映像学会アナログメディア研究会)などに関わり精力的に活動していることで知られているが、本作は花火の打ち上げをフィルムで映し出すことで、映像がいかなる変容を編成していくかを考察したドキュメンタリーである。アヴァンガルドとフィルムの関係を再考させる6分の充実した短編であったといえる。

『LIGHT, NOISE, SMOKE, AND LIGHT, NOISE, SMOKE』(西川智也監督)


ほかに主要賞の受賞は逃したが、印象深い作品を2,3本挙げるならば、日本でも知名度が高い映画監督ジャン=クロード・ルソー『Where are all my lovers?』は、2カットのみで構成された短編でありながらカットのトランジションにおける照明の使い方が一級の芸術である。小田香『GAMA』は、山形不参加のため見損ねていた中編だが、沖縄戦という悲惨な歴史的事象をめぐって証言と振舞の関係性を考察する重厚な作品であったことは言うまでもない。またフィリッパ・セザールの新作『Resonance Sprial』では、劇中でギニアビサウ「最初」の映画監督Sana N‘Hadaにクリス・マルケルが送った手紙が引用されることが特徴的である。マルケルのアーカイブ構築への深い関心を垣間見ることができるだろう。

 

・特集上映:ジェームズ・ベニング新作『Breathless』世界初上映

今年度も様々な特集が組まれているが、その一つとして本映画祭の顔ともいえる映画監督、ジェームズ・ベニングの大規模回顧上映が行われたことが特徴的であろう。その一環として、新作『Breathless』がワールド・プレミアされていることを振り返りたい。
本作は、ゴダールの1959年の映画作品(『勝手にしやがれ』)と同名タイトルの作品だが、あるカーブ地点を舞台にベルモンドたちの逃亡で特徴的な「車」が移動し去っていく、工事が終わるといった様相を全編定点撮影というベニング作品の特徴的なスタイルで描き出す真のワンカット作品である。では『勝手にしやがれ』とはどういう関係が存在するのか。それは、ラストで不意に流れる音楽から容易に理解できるだろう。一世代下でありながら、ともに映画の在り方を思考してきたベニングならではのゴダールへのオマージュであった。

『Breathless』(ジェームズ・ベニング監督)

・クロージング作品:Fanon

クロージング作品は、2025年に生誕100周年を迎える思想家・精神科医・革命家フランツ・ファノンについての伝記映画『Fanon(True Chronicles of the Blida Joinville Psychiatric Hospital in the Last Century, When Dr Frantz Fanon Was Head of the Fifth Ward Between 1953 and 1956)』であった。ファノンについての詳細は割愛するが、1952年に代表的な著作(論文)『黒い皮膚・白い仮面』を書きあげたファノンは、1953年にアルジェリアに渡りブリダ=ジョアンヴィル精神病院で医療主任として勤務し(1956年)、Institutional Psychotherapy(フランスでマルキシズムラカン精神分析から影響を受けて確立された心理療法)の手法を用いた治療実践に励むことになる。その中でアルジェリア戦争捕虜たちの治療に従事したファノンは、自らもFLNに参加し、独立運動闘争へと身をささげていくことになる(1961年に『地に呪われたる者』を執筆)。映画作品は、その流れを堅実に描いていくが、さすがに「植民地的暴力」の力を感じ取ることはできなかった。

『Fanon』(Abdenour Zahzah監督)

・終わりにかえて

ベルリン国際映画祭が、パレスチナ虐殺に対して立場をとることができない現状、来年度以降の実験映画の祭典としての本映画祭の意義はますます強くなっていくだろう。その中でドキュメンタリーが、映画の原点であるということを決して忘れることなく、実験を重ねていく作家たちの活動に今後も注目していく必要がある。

(小城大知:映画研究、表象文化論