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広島大学文化サークル連合の公式オンラインジャーナルです。

第24回東京フィルメックス

2023年、東京フィルメックスは三年間にわたる東京国際映画祭との同時開催を停止し、当初から続いていた11月下旬(19-26日)で開催した。本記事は、フィルメックスに参加した文化サークル連合映画専門記者による簡単な報告である。

 

開催に至るまで

そもそものところ、今年度は映画祭開催そのものが危機的な状況であったという。11月15日に掲載された日本経済新聞の記事によると、新型コロナウイルス感染対策による経費増や資金調達の影響で22年の映画祭が赤字に陥り、今年の開催が危ぶまれたということが示されていた。

参考:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD093Z00Z01C23A1000000/

 

2020年度までプログラム・ディレクターを務め現在も主催NPOの理事長を務めている市山尚三氏のインタビュー(聞き手:斎藤敦子(字幕翻訳/映画ジャーナリスト))にその詳細が示されているので、以下今年度開催に至るまでの様々な苦労を要約してみたいが、かなり深刻な事態であったということが理解できる。

参考:http://cinemadays.blog.jp/archives/34026855.html

 

  • フィルメックス開催当初から、映画祭を裏方(特に予算面で)として支えてきた金谷重朗氏の辞職により、資金的な面の確保に苦労させられていた。2023年6月くらいまでに(資金が)集まらなかったら、今年は中止せざるをえないみたいな話まであった。
  • 昨年は、リティー・パンやジャファール・パナヒといった巨匠の新作を招聘出来たものの満席となった回が一作品もなく、入場者収入の激減に苦しんだ。朝日ホール全面開催で行うと、特に平日は入場者が少なくなるため赤字になりやすい。
  • 結果的に今年は文化庁の中規模映画祭への助成があったこと、東京都(都はフィルメックスと併行して開催されているベルリナーレ・タレンツ・トーキョーの共催している機関でもある)の助成の復活などがあり資金面は確保できたが、東京国際映画祭期間中の朝日ホールを押さえることが出来なかったこと、また11月の期間もさまざまな制約などがあり朝日ホール全面開催が難しいため、ヒューマントラストシネマ有楽町で最初3日間は開催するという異例の手法を取らざるを得なかった。

 

では、集客に関してはどうだったのか。フィルメックス事務局が、TIFFのように公式に来場者数を公表しているわけではないので、これは筆者の主観であることをお許しいただきたいのだが、濱口竜介石橋英子『GIFT』以外満席回はなく、昨年同様特別招待作品ですらも朝日ホール上段側はガラガラという中々に寂しい光景を目にした。審査員の一人のワン・ビンが、カンヌ国際映画祭で初コンペにセレクションされた『青春』(2023)ですらも満席にはならず(215分あったというのも原因かもしれないが…)、驚愕させられた。
しかし逆に言えば特別料金4000円の料金設定で開催された『GIFT』は満席になったこと、また橋本愛が登壇した『熱のあとに』がほぼ満席に近い状態からもわかるように、濱口竜介のようなタレント性のある映画監督や橋本愛のような人気俳優が出演している作品の集客は見込める。映画祭を赤字にしないためにも、作家性と同時にタレント性も重視することが映画祭には求められるところにプログラミングの苦悩が読み取れる。

 

それではここから、作品について簡単に振り返っていきたい。

 

コンペティション部門

今年のコンペ部門は、ほぼすべてがジャパン・プレミアで構成され、更にカメラドール(黄色い繭の殻の中)、批評家週刊グランプリ(タイガー・ストライプス)、ロカルノ金豹賞(クリティカル・ゾーン)といった受賞結果を持つ作品とともに、日本からも橋本愛など豪華タレントが出演した「熱のあとに」がセレクトされるなどタレント性のあるセレクションであったことは間違いない。しかしふたを開ければ全体的にレベルの低いセレクションであったことは否めない。
例えば、ファム・ティエン・アン「黄色い繭の殻の中」は、アピチャツポン・ウィーラーセタクンを意識したスローシネマで空間の構成はそれなりにすぐれているが、映画そのものの運動には人間の動きもあることを忘れている。ショットも後半からは力尽きたのか凡庸なものにとどまり長く退屈な作品に陥ってしまった。また、ゾルジャルガル・プレブダシ「冬眠さえできれば」は、テーマは興味深いものの思想だけが独り歩きし、主人公の青年を取りまく空間形成がうまくいっていないのか狭苦しい作品であり、雄大なモンゴルの土地や文化が持つ問題点が実はほぼ無意味と化すのは残念(とはいえ娯楽映画としてはうまくいっている)。また日本映画も「熱のあとに」は、濱口の「ドライブ・マイ・カー」をなぞるような映画であるが、全く及びもせず。しかし観客賞がこの作品ではなく、「冬眠さえできれば」であったことがまだ唯一の救いであると言えた。この国の政治性も捨てたものではない。

 

特別招待作品

殆ど全ての作品を事前に映画祭で拝見していたため、未見であったペドロ・コスタ「火の娘たち」のみ触れておきたい。現在準備中の新作の断片を用いた短編であり、トリプルエクラン(スコープ)を用いた女性たちの歌唱とカーヴォヴェルデのフォゴ火山噴火のアーカイブ地政学者オーランド・リベイロから譲り受けたもの)によって構成されている。ミュージカルだけで構成されるMVかと不安な作品であったが、さすがはコスタ。ミュージカルでは運動→狭間→停止を見事に描き出し、アーカイブ映像によって本作品がMVではなく映画であることを強調する。とはいえ、ゴダールやマルケルのように優れた映画作家は良いMVをも作り出す。コスタもその一人であったことを再確認した。

 

総論

作品の良しあし以前に、来年もフィルメックスは無事開催されるかが気になるところである。今年度は何とか開催されたが、これが来年も続くとは限らない。国が戦争を推進するのではなく文化事業に金を渡さなければ、この国の未来はないのだということを本映画祭の今年の苦労が端的に示してくれたと言えよう。

 

(映画研究・表象文化論