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広島大学文化サークル連合の公式オンラインジャーナルです。

2022年:第35回東京国際映画祭+第23回東京フィルメックス 報告

2022年度も東京国際映画祭東京フィルメックスが同時開催された。2021年度から銀座、日比谷、有楽町エリアに移転し、さらに2022年に丸の内エリアも追加して上映規模を拡大した東京国際映画祭は10月24日から11月2日、有楽町朝日ホールでの上映という良き伝統を保持し続けた東京フィルメックスは10月29日から11月6日まで開催され、期間中さまざまな作品が上映された。
今年も広島大学文化サークル連合から、東京在住の映画専門の特派員である筆者による報告記事を以下簡単な形ではあるがつづっていきたい。今回所用が重なったことに加え、のっぴきならない問題も発生したこともあり東京フィルメックスの上映に特別招待作品以外ほとんど足を運べていないため、内容的にも東京国際映画祭の報告に重点が置かれていることをお許しいただきたい。

 

2022年度の各国際映画祭に参加した際の紹介記事を書く暇が存在しなかったこともあり、それらを踏まえて本記事を執筆できればよかったと後悔する限りである。というのも2022年に筆者は本映画祭に参加する前にベルリン、ロッテルダム、サンセバスチャン、ロカルノといった主要映画祭に参加していたこともあり、2022年度の映画祭のセレクションの傾向を大枠ではあるが掴んでいる状態で参加していることを意味するからである。

このような映画祭への参加はいったいどのようなことをもたらすのか。それは東京国際映画祭の2つのコンペティション部門を除いた招待作品部門と、東京フィルメックスの作品の大半は主要映画祭でプレミア上映された作品であることを留意することで意図が理解できるだろう。即ちプログラムがどこの映画祭の作品を重視しているかである。
その中で東京国際映画祭に今回ベルリン映画祭の作品が三宅唱の傑作『ケイコ 目を澄ませて』以外の作品が選出されていないということが驚愕すべき事態であったと思われる。東京国際映画祭は今年昨年度より40本以上上映作品が増えたにもかかわらず、ベルリン映画祭でのプレミア上映作品がなぜ皆無に等しくなるのかいうことは疑問視されるべきことである。そのうえで東京フィルメックスの特別招待作品4本のうち2本がベルリン映画祭コンペティション部門上映作品であるということもまた不思議ではあるのだが。
東京国際映画祭の場合、特にガラセレクション部門で、ラインナップ会見で市山尚三PDも言及されていたようにベネチア映画祭の作品が増える傾向になった。今年度も3本がセレクションされているなど、ベネチア映画祭コンペ作品が娯楽作品をある程度重視する傾向になっていることを理解することができるだろう(そのうえで金獅子賞受賞作品はロウラ・ポイトラス監督の新作で、さらに中絶に関するドキュメンタリー映画だったところに一筋縄ではいかない部分が存在するが)

 

「飛躍」をテーマに掲げてイベントや上映会場が増加した東京国際映画祭は、3年ぶりにレッドカーペットを実施、筆者自身も取材させていただいたオープニング・セレモニーも宝塚劇場で開催されるなど華やかなものであったことは事実である。オープニングでは瀬々敬久監督の新作『ラーゲリより愛をこめて』がワールド・プレミア上映された。昨年と異なりオープニング作品のP&I上映がなかったため、今年は初日に一本も見ない形で終了した。

 

それではここから各部門について簡単にまとめる形で進行する。

 

コンペティション部門

今年もワールド・プレミア作品、アジアン・プレミア作品を中心に力作がそろった部門であったと言えよう。その中で何本か作品を取り上げるならば、ミルチョ・マンチェフスキ『カイマック』はビルの上下という単純な構成でありながらも、遊び心たっぷりに男女の皮の激しさをもって進行させていくのが見事であったと言える。また評価が難しいもののエミール・バイガジン『ライフ』は過剰と言える演出の中で、男の数奇な運命を壮大なスケールで描こうという野心を感じ取ることができる。

 

・アジアの未来部門

ワールド・プレミア作品のみで構成される部門で、若手映画監督の発掘に一役買う部門である。しかし残念ながら今回一本も見る機会に恵まれなかったことが惜しまれる。機会があればぜひ見てみたい作品が多い。

 

・ガラセレクション部門

瀬々の商業向け映画をはじめ、イニャリトゥ、マクドナー、エガースなど商業映画監督が並ぶ中で、一つの異色な作品に出合うことが可能である。それがアレクサンドル・ソクーロフ監督の新作『フェアリーテイル』である。ソクーロフ御大の新作はアニメーションと実写を融合させ、為政者に対する歴史的審問という寓話を通して、一党独裁体制を批判する作品であり、また人民の暴力には決して独裁者は勝つことはできないという教訓を理解することが可能である傑作である。

 

・ワールド・フォーカス部門

今年も多くのすぐれた作品がこの部門にやってきたが、まずはやはりアルベール・セラの新作『パシフィクション』という大傑作の存在を挙げておく必要があるだろう。セラの新作はカンヌ国際映画祭2022コンペ部門に初選出され、無冠だったものの高い評価を受けた作品である。港の強烈なロングショットから始まり、核実験がうわさされる島を巡ってフランス側kら派遣される提督の数奇な冒険を野心的なシーンのモンタージュ、宙づり、思考をもって描き出すまさしく「映画」と言える大傑作(重ねて強調しておこう)であると言える。また、旧作のリマスターであるエドワード・ヤン『恋愛時代』も美しくよみがえったリマスター版で見ることがかなったのは至福の極みであった。

だが、一つこの部門にも問題点があることを指摘しておかなくてはならないだろう。それはウルリヒ・ザイドル『スパルタ』である。この作品は公開以降Der Spiegel紙(2022年9月5日付)で報じられたようなハラスメントスキャンダルなど物議をかもしているのは周知の事実であるが、この作品にはもっと初歩的な上映的な問題が存在する。それはこの作品と一緒にベルリン映画祭2022コンペ部門で上映された『RIMINI』を上映しなかったことである。筆者はどちらも試写で鑑賞済だったため、この作品がなぜ男性小児性愛者を主人公にしたかの意図を理解することができた。これは『RIMINI』の主人公が熟女愛者であるという真逆の設定を孕んでいることと対置させることにより、両者にある人格の懸隔を埋め合わせるために2本の映画を見ることが求められるという構造が存在しているのである。逆を言えば、一本の鑑賞だけでは意味をなさないということが挙げられる。東京国際映画祭は、その点についての配慮を行うべきだったのではないだろうかと個人的には思っている。

 

・NCN部門

ベルリン映画祭エンカウンターズ部門で上映された三宅唱『ケイコ目を澄ませて』を再び試写で見る機会に恵まれたのが至福だった。岸井ゆきのの演技をはじめ身振りと音の演出が16ミリフィルムの力強さと融合され映画的な拡張が行われているのをスクリーンで再確認できた。より驚かされたのは甫木元空『はだかのゆめ』である。Bialystocksのボーカルでもある甫木元空の長編2本目は高知を舞台にした亡霊による死と放浪をめぐる物語であり、見事な音と映像のモンタージュの組み合わせがもたらした奇跡のような作品であった。

しかし何よりも、今年は3月に青山真治が若くして逝去したことに深い衝撃を覚えた。その中で本映画祭において10年以上ぶりに再見した『ユリイカEUREKA』に勝る作品は存在していない。もっと青山作品の上映に通えれば良かったと思っている。

 

・その他部門

ユース部門で上映されたエレナ・ロペス=リエラ『ザ・ウォーター』が期待にたがわず素晴らしい作品であったことをとどめておきたい。『ザ・ウォーター』は新人ロペス=リエラの長編デビュー作品で今年の監督週間上映作品であるとともに過去のニュースとフィクションを融合させ若者の逡巡と自然の融合を見事な形で描き出した傑作である。またシリーズ部門で上映された『イルマ・ヴェップ』を見ることができなかったのが痛恨の極みである。
昨年は上映作品を拝見したジャパン・アニメーション部門は今年はプレミアの上映作品がなかったため今年は上映を拝見しなかった。おそらくFIAPF公認のコンペティティブ長編国際映画祭の中でとりわけジャパン・アニメーションの長編映画に力を注げるのがこの映画祭なのでプレミア作品のセレクションに力を入れてほしい。

 

東京フィルメックス

特別招待部門4作品しか拝見できていないため、この項でまとめて報告するがリティ・パン監督の新作『すべては大丈夫』は、『消えた画クメール・ルージュの真実』同様ジオラマセットにより人間の暴力の連鎖の歴史を描き出す作品であり、その中でクリス・マルケルアラン・レネジャン=ダニエル・ポレといった詩人たちの映画を引用しながら暴力の哲学を思考する野心作であることが言えるだろう。だが、何と言っても今年ベスト級の作品であったジャファール・パナヒ『ノー・ベアーズ』の存在を忘れることはできない。現在イラン当局によって拘束され不当に収監されているこの監督の新作は、COVID-19の感染拡大の中で二つの映画の制作を進行させながら映画、国家の暴力や闇を軽々と論じる驚異的な大傑作であると言える。

 

また東京国際映画祭東京フィルメックスが共同でツァイ・ミンリャン監督特集を実施したことも特筆すべき事項である。ほとんど足を運べなかったが東京フィルメックスにおいて拝見した『ヴィザージュ』が美しい映画であったことを指摘しておく必要がある。ツァイ独特の芸術品ともいえるロングショットに加え、『洞-hole-』や『西瓜』同様張露、カルロス・エレタ・アルマタン(ラエティティア・カスタによるカバー)の名曲によるミュージカル、ジャン=ピエール・レオジャンヌ・モロー、ナタリー・バイといったフランスの銘俳優たちの出演により、フランソワ・トリュフォーの作品群を巡る美しい映画史を描き出すミンリャンの傑作である。

 

〇総論

2022年は各映画祭の賞レースの結果が酷かったこともあり、パナヒやパンといった例外を除き、東京国際映画祭やフィルメックスによってセラ、三宅など、日本にもっと紹介され観られる必要のある無冠の作品が多くプログラムされ上映されたことが救いであったと言えよう。今の3大国際映画祭の受賞作品は「見なくてもよい作品」の目録となっているのは事実であり、今年の某パルムドール作品がセラの驚異的な新作に及ぶべくもなく、今年の某金熊賞作品が、ミカエル・アースの新作に及ぶべくもない。今後とも、この路線を継承していただきたい。

 

最後に東京国際映画祭について改善するべきであると思われる点を少し列挙しておきたい。東京国際映画祭は今回交流ラウンジというものを設置したが、これがプレスセンターより少々使い勝手が悪いということである。ウェルカム・ドリンクを一杯無料で飲むことができるなどホスピタリティが改善した部分は評価できるが、上映会場からやや遠く、またスペースもお世辞にも広いとは言えないため作品上映を見ることがメインとなる筆者のような業種の人間が使うにはやや使いづらい。来年に向けて改善の余地があると思われる。

二つ目は上映会場について。多くの人からおそらく出ている声だと思われるが、有楽町よみうりホールが上映にあまり適していないのではないのだろうかということである。スクリーンが大きめでキャパが大きいのは評価すべきであると思うが、映画館ではないこともあり映写の性能が悪いこと、また椅子が固く段差もほとんどないため(所謂シネフィル座りを習得していない人にとっては)上映が見づらいこと、非常灯がついているため光の洩れ方が尋常ではないことなどから上映に適していない部分の方が大きすぎると思われる。朝日ホールで開催されているフィルメックスのように対策を講じていただきたいと願うばかりである。

 

(小城大知:映画研究、表象文化論