ガリシア出身の鬼才オリベル・ラシェが手がけた最新作『シラート』が、6月5日に全国公開される。2025年・第78回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、審査員賞を含む4冠を獲得、第98回アカデミー賞では国際長編映画賞および音響賞にノミネートされるなど、世界的に高い評価を受けている。

本作は、失踪した娘を捜す父と息子の旅と、砂漠で繰り広げられるレイブパーティの狂騒とを交錯させながら、暴力、抵抗、そして生のあり方を描き出すロードムービーだ。タイトルの「シラート」は、アラビア語で「道」を意味し、宗教的には審判の日に天国と地獄の上に架けられる橋を指す。本作においてもその語は、死と再生、崩壊と跳躍という主題と深く結びついている。レイヴにおける身体の運動と、娘を追い求める父の孤独な彷徨はやがて交差し、一つの極限的な映画的体験へと収斂していく。東京国際映画祭ガラ・セレクション部門での日本初上映時に合わせて来日したラシェ監督に、本作に込めた思想と演出について話を聞いた。(註:編集部)
※本記事には、結末部分に触れたネタバレが存在します。
-まず、本作を制作するに至った原動力について伺いたく思います。
24歳でモロッコに行ったとき、自分の中に恐れや執着があることに気づきました。この土地では、誰かが亡くなったときや、作物がうまく育たなかったとき、あるいは疫病が発生したときなど、繰り返し口にされる言葉があります。アラビア語で「我々は神から来て、神のもとへ帰る」という意味の言葉です。それは、死に直面したときに人々を落ち着かせるための言葉であり、私たちがある意味で永遠の存在であることを理解するためのものでもあります。
人生とは、海の中にいる魚が一度水面から跳ねて空中に出て、再び海へ戻るようなものです。私の芸術的な実践は、まさにその方向へと向かってきました。そして『シラート』もまた、死を「敵」ではなく、「跳躍台(トランポリン)」として引き受けることを目指した作品です。それは苦い薬ですが、自由に生きるための基盤として必要なものだと考えています。
-本作では、第一に「音」が重要な役割を果たしています。こうしたサウンドクリエーションに至った背景について、教えてください。
この作品の制作は、まず「踊ること」から始まりました。レイヴのダンスフロアで踊り、目を閉じながらイメージを思い描き、それを発展させていったのです。私は、電子音楽を非常に幅広く聴いていました。音楽は、このプロジェクトの出発点そのものです。
脚本を書くときも、多くの音楽的な参照を取り入れています。私は音楽家でもあるため、脚本の書き方は非常に「雰囲気的(アトモスフェリック)」で、そのスタイルは音楽に近いものです。ですから、私は「作曲家」ではなく「ミュージシャン」を求めました。作曲家は物語に適応しすぎてしまうからです。音楽と音は融合するべきであり、一方が他方に従属するべきものではありませんからね。
-名俳優セルジ・ロペスの演技も印象的です。
当初は、すべての出演者を素人の俳優たちにしたいと考えていました。私は人間そのものが好きであり、カメラの前での彼らの脆さに強く惹かれています。その脆さは非常に強いエネルギーを持っているからです。しかし、この作品は大規模なもので困難も伴うものだったため、プロの俳優も必要でした。そこでセルジ・ロペスを起用したのです。彼は非常に寛大で謙虚な人物であり、ラヴァー(レイヴの参加者)たちに対して深い敬意と愛情を持っていました。彼自身も、彼らと同じ「真実性」に到達するために努力しなければならなかったのです。ですから、全員が互いに学び合いました。また、彼らには私の家で共に過ごしてもらうことで、関係性を築いていきました。
-ラシェ監督の過去の作品と比較すると、本作は2015年の作品である『ミモーサス』(« Mimosas »)と類似点を感じさせられます。
まさにその通りです。『ミモーサス』を撮っていたとき、本当は『シラート』を作りたかったのです。その当時は、「死」と「永遠への跳躍」をめぐる映画作品として構想していました。しかし当時は資金も時間も限られており、技術的にもまだ成熟していませんでした。そうした制約のなかで完成したのが『ミモーサス』でした。その意味で、『シラート』は長年抱いてきた構想に、ようやく正面から取り組んだ作品だと言えるでしょう。自分が本当に作りたかった映画に、ようやく近づくことができたと感じています。私の長編第一作が公開されたのは2010年ですので、そこからすでに15年が経ちました。初めて自分の映画(註:『皆はキャプテンだ』« Todos vós sodes capitáns »)がカンヌに出品されたときの出来事は、いまでも強く印象に残っています。
振り返ってみると、自分の歩みは常に時代に逆らうようなものだったかもしれません。とりわけスペインにおいては、主流から外れた方向に進んできたという実感もありました。しかし今は違います。「いま、風が自分の帆を押してくれている(Y ahora el viento sopla mis velas)」という感覚がある。だからこそ、これからはより自由に、自分が本当に望む映画を作ることができると思っています。とはいえ、変化させていない部分もあり、その一例として、本作も16ミリフィルムで撮影されていることが挙げられます。
-本作は「旅」や「冒険」の映画としても捉えられると思います。とりわけラストシーンは、とても印象的です。さまざまな人々が列車に乗り込みながら、どこへ向かうのか分からないまま進んでいく。あの列車のイメージには、どのような意味が込められているのでしょうか。(王宏斌氏(映画研究者、ジャーナリスト)より質問)
登場人物たちは、自分たちがどこへ向かうのか分かっていません。それでも前へ進み続け、決して諦めることはないのです。この場面は、観る人それぞれが自由に解釈すべきものだと思います。ただ、私自身はあの列車の中に「静けさ」を感じています。そこには、自らの運命を受け入れながら前へ進んでいくという、ある種の誠実さがあるからです。登場人物たちは皆、自分の内面と向き合い、その結果として、何らか変化しているのです。今、この場所をあの列車が通るならば、私もきっと乗るでしょう。
-最後に観客に向けたメッセージをお願いします。
観客のみなさんには、この映画に身を委ねてほしいと思っています。頭の中で鳴り続ける「雑音」を少し静め、自分の感受性を信じてほしいのです。理屈ではなく、「身体で」映画を観てほしい。私は観客を強く信頼してこの映画を作りました。シネフィルに限らず、すべての観客を信じています。そして、この作品は映画館で観るべきです。映画館は「寺院」のようなものであり、守らなければならない場所だからです。
(2025年10月30日、セルバンテス文化センターにて。
取材・文/小城大知、取材協力/王宏斌、通訳/比嘉世津子)
監督:オリベル・ラシェ
製作総指揮:エステル・ガルシア
製作:ペドロ・アルモドバル
脚本:オリベル・ラシェ、サンティアゴ・フィジョル
撮影監督:マウロ・エルセ
編集:クリストバル・フェルナンデス
美術:ライア・アテカ
音楽:カンディング・レイ(デヴィッド・ルテリエ)
出演:セルジ・ロペス、ブルーノ・ヌニェス・アルホナ ほか
2025年/スペイン・フランス合作/スペイン語・フランス語・英語・アラビア語/115分/ビスタ/カラー/5.1ch/日本語字幕:杉田洋子/PG12
日本公開:2026年6月5日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラスト有楽町、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほかにてロードショー
配給:トランスフォーマー
後援:セルバンテス文化センター、スペイン大使館
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