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釜山国際映画祭訪問記(後編:5日目から最終日まで)

※釜山国際映画祭訪問記、本記事では後半(5日目から最終日まで)をお届けする。

五日目

この日から二日間にかけて今年度の三大映画祭(ベルリン、ベネチア、カンヌ)の最高賞受賞作品を見ていくことになる。しかしその前に、まずは一本目にこの作品のために釜山に行ったといっても過言ではない、ビクトル・エリセの31年ぶりの新作『Close your eyes』を大スクリーンで見る。エリセの新作は、ある映画のシーンから始まる。月日が経って、その作品に出演したものの後に失踪した俳優の友人を探す映画監督が、取材を受け倉庫で映画にまつわる物品を探す。俳優が別の場所で労働者となって生きていたことを知る映画監督は、その俳優の記憶の奥底にある写真や事物、そしてフィルムと向き合うことになる。映画と対話するラストシーンは、もはや言葉ではなく映画が語り、目をつぶることでイメージが溶着する。過去の作品に比べて、言葉も多く映像のフェードアウトも早くなったものの、複製芸術としての映画史を引き受けたともいえるエリセの重厚な大傑作であり、文句なしに拍手を送りたい。

この重厚な映画を見終わった後の二本目のニコラ・フィリベール『アダマン号に乗って』(ベルリン金熊賞)はワイズマンの作品と同じテイストを持ちながら、はるかに及ばない大凡作である。セーヌ川に浮かぶデイサービスセンターでの障碍者同士の対話を描いた作品は、あくまでの健常者が障碍者を撮影しているというスタイルが崩れず、障碍者から彼ら以上のモチーフを描き出そうとする野心が皆無である。映画を運動の産物であるとことを理解していないのではないだろうか。

そしてCGV Stariumという、韓国最大級のシネコンのスクリーンへと移動し、満員の中でジュスティーヌ・トリエが見事カンヌ映画祭パルムドールを受賞した『Anatomie de la chute』を見る。父親(夫)が殺された連れ合いと子供という二人の家族の逡巡と裁判の様子を描くサスペンスドラマ。要所要所で、父や夫に死なれた彼らのもつ緊張感は描かれているが、裁判シーンは全くと言ってよいほど迫力がなく、あまり思考されて撮られていない映像が羅列されていることによって、映画を運動の迫力の無い中途半端なものへとしてしまったと言える残念な作品であった。

すぐに移動し、4本目にヌリ・ビルケ・ジェイラン『About dry grasses』を見る。トルコの巨匠ジェイランの新作は、ジェイランの映画に通底する土地アナトリアから抜け出そうとする美術教師が体験する様々な出来事を197分という長尺で描く。ジェイランの映画らしく、アナトリアの自然風景は見事であり、長回しも多用されることで人物間の関係性の持つ運動が描かれているのは評価に値するが、今作品に限ってはその自然風景と、人物描写の間の乖離が極めて大きく、ラストの雪国からの脱却以外は違和感が残り続けるなどジェイランの作品の中では微妙な部類の作品であったといえるだろう。

 

六日目

この日からチケットの予約開始が8時30分になる(さらに八日目からは開始が10時になる)。8時30分、翌日の濱口の新作『悪は存在しない』のチケットを取ろうとしたが、開始20秒でチケットが完売しまたもや取ることが叶わなかった。そのため最後の手段をと試みることを決意する。これに関してはまた後述する。

休みなく映画祭に参加し続けていたため、疲労が蓄積していたことを鑑みて午前中少し休み、11時くらいにビデオ・ライブラリーでブリランテ・メンドーサ監督の新作『Moro』を見ることから始める。メンドーサの新作はアジアコンペ部門であるJiseok部門のセレクションとしてワールドプレミアされた作品で、確執を抱えたある兄弟が土地の権利を取り戻すために、暴力的な世界と抗争を繰り広げる映画である。メンドーサ特有の無味乾燥とした暴力表現はさえているが、80分という短い作品の中でこの暴力はやりすぎであるという感もぬぐえない。

そして2本目からスクリーンに復帰し、ロカルノ国際映画祭の金豹賞を受賞し、東京フィルメックスでもコンペティション部門に選出されたアリ・アフマザデ『Critical zone』を見る。ほぼ全編車の移動シーンで構成される本作品はドラッグのディーラーの奇妙な出会いの出来事を描くものである。しかしながら、車の移動シーンにおいて映像の速度を変化させるモンタージュを多用したことで映像があまりに不安定なうえに、人間の邂逅もあまりに薄っぺらく、大駄作であったと言えよう。これを最高賞に選んだロカルノの審査員の感性を疑う。

3本目にベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したヨルゴス・ランティモス監督の新作『哀れなるものたち』を見る。エマ・ストーン演じる貴族の女性が夫のDVに耐えかねて入水自殺を試み、ウィレム・デフォー演じる謎のマッドサイエンティストの手で蘇生される。その蘇生方法が妊娠していた赤ちゃんの脳を移植する方法であったため見た目は大人、頭脳は赤ちゃんというベラ・バクスターという女性として生まれ変わることになる。そして、科学者の庇護の下で育つ中で外の世界を渇望するようになり、放蕩の弁護士と共に世界中を旅する中で自由、女性の人権といった意識に目覚めるようになるという様を描く。力作ではあり、物語を構成する空間の造形やお下劣極まりない言葉やシーンの多用は確かに評価に値するが、やはりランティモスの奇天烈さとは相性が悪く、さらに言うならばランティモスの映画で多用される覗視的なショットは、物語が訴えたいフェミニズム的なものと真逆と思わざるを得ない。

そして4本目にチャン・リュル『The Shadowless Tower』、離婚して家族と離れて暮らす作家が仕事仲間の女性、弟、そしてかつて冤罪で職や場を失った父親、死にゆく妻との邂逅、再会を通して自らの人生を見つめ直していく様を描く。重厚な映像で紡がれる一つ一つの運動は見事であるのだが、144分は要らない(逆に120分であれば大傑作だった)。とはいえ、奇天烈な映画を見た後だったので胃にもたれた後にあっさりとしたものを食べたような安心感を得た。

 

七日目

心配だったチケット取りもサクサクできたため、一本目に日本で公開が始まる直前だった岩井俊二の新作『キリエのうた』を見る。アイナ・ジ・エンドが演じる姉妹を巡り、恋人、友人、他人にもたらされる17年間の物語が描かれるという内容だが…岩井俊二はあくまで音楽に映像を従属させるためPV感がぬぐえなかったこと、そして東日本大震災を映画の山車として利用し、津波の映像をギリシア正教といった宗教モチーフと絡めるなど、人の死に対するあまりの軽さが下劣極まりない作品であった。全く評価するに値しない。

その後にジェシカ・ハウスナーの新作『Club Zero』を見ようと思ったが、あまりの前評判の悪さに見る気力が失せ、濱口の新作を見るために最終手段を使うことにする。1時間前に、会場に到着し、ある場所に並ぶ。すでに三人並んでいて、上映開始時にはその列は150人近くになっていた。

これが赤・黄・青色のパスホルダーが使える「Wait Line」というシステムである。超賭けみたいなシステムなのだが、上映開始10分後までに空席があった場合その空席分を先着順でパスホルダーに開放するというシステムである。今回の濱口の新作は500人規模のスクリーンでの上映だったので10人くらいは入れるかと思っていた。しかしふたを開けたら4人しか入れないという。何とか入ることのできた幸運をかみしめつつ、海外での濱口人気に驚かされる。

さて濱口竜介の新作『悪は存在しない』。『ドライブ・マイ・カー』の音楽を担当した石橋英子とのコラボレーションの一環として発表され、ウィーン国際映画祭の予告編として昨年制作された『ウォールデン』(ソローのテクスト、ダグラス・サーク『天はすべてを許し給う』のインスピレーション+モンタージュ)の持つ空間を長編化した作品でもある。ある山村で娘と細々と生きてきた男が、コロナ禍のあおりで不景気になり補助金獲得のために、汚染水を輩出する可能性があるグランピング施設を村に誘致しようとする芸能事務所の社員と出会うことで、男も含めた村全体が奇妙な出来事に遭遇するという様を描く。しかし本作品、準備不足なこともあり、俳優たちと制作者の連携があまりとれていないことが目立ち、重要なトラベリングもただただカメラが動いているだけで映画そのものに運動がなく、中途半端な設定と取ってつけたような構造が映画の裂け目すら(あるいは孤絶すらも)無意味にし、空虚に堕落させている。濱口の中ではかなり悪い出来であったことにゲンナリ

ゲンナリしながらも3本目にニコライ・カーゼルの『The Promised Land』。ベネチアコンペに出品され、デンマークの農地開拓に従事した軍人Ludvig Kahlenの権力争いに屈せず王のためにと土地開拓に情熱を捧げる伝記的物語。マッツ・ミケルセンの演技は素晴らしく、デンマークの歴史を学ぶ良作であったのは事実だが、映画としては特段秀でているところはなかった。

こうしてこの日は低レベルである日本映画と、ある程度クオリティーが担保されている外国映画という悲しき実情を知った一日であったといえるだろう。

 

八日目

九日目が実質の最終日のため、この日の午前でチケット予約がすべて完了。ゆっくり目に出発し、13時からまずはビデオ・ライブラリーで見て圧巻の出来であったと感じていたカトリーヌ・ブレイヤ『Last summer』を見る。再婚した不安定な家族共同体の不安定な結束、歪み、決裂という一夏の出来事を静と動の衝突によって描き出す。カトリーヌ・ブレイヤならではの歪みは継承されながら、大人と子供の境目にある不安定な運動を、見事な空間設計をもって大胆に描き出す見事な作品であったと言える。

その後2本目として、これも楽しみにしていたデヴィッド・フィンチャー『ザ・キラー』。前作『Mank』同様、Netflix出資によるオリジナル映画で、アレクシス・ノントの同名グラフィック・ノベルを映画化した作品。マイケル・ファズベンダー演じる、自らが招いたミスにより人生の岐路に立たされた殺し屋が、自らや雇い主にあらがいながら粛々と任務を行っていく様を描く。自戒を込めて行うナレーション、殺人行為以上に殺し屋のちょっとした所作の方に演出の重要性を理解していることもあり、フィクションがドキュメンタリーの延長であるという映画史の意義を感じさせる極上のアクション映画であったと言える。

この日見たのは3本だがどの作品も充実しており、最後のリサンドロ・アロンソ『Eureka』も大作であった。アルゼンチンの鬼才の9年ぶりの作品は、娘を取り戻そうと奮闘しながらも自ら死す運命へと誘われるヴィゴ・モーテンセン主演の白黒西部劇から始まり、それをテレビで鑑賞した貧しい移民出身の警察官が、パトロールに出掛けたまま自らの仕事に絶望して失踪するという物語を経て、最後に生きている村から出ることを望む青年が、金の発掘に従事する中で不可解な出来事に遭遇するという三本のドラマで構成されている。さしずめアロンソ流『神曲』(ダンテ)のようであり、全員が死ぬという西部劇が地獄、この世の不条理を描き出す第2部の煉獄、そして搾取されながらも救済を受けるという天国と考えることができる。もう一度見てみたい。

 

九日目

実質の最終日。この日は午前のプレス試写が再度復活したため、一本目にクロージング作品であるニン・ハオ『The Movie Emperor』。アンディ・ラウ演じるダニー・ラウという超有名俳優が自らのイメージを変えるために風変わりなインディペンデント映画に出ようと奮闘するさまを描くが、中身の無い内容の引き延ばしとリアリティの無い物語で失笑し、豚が死ぬシーンで激怒。ファン・ビンビンしかりアンディ・ラウに関しても、俳優だけを前面に押して中身の無い内容の映画になってしまっているのはなぜなのだろうか。

2本目にアンドレア・ディ・ステファノ『The Last night of Amore』。これもイタリアが誇る名俳優ピエルフランチェスコ・ファヴィーノを主演に、ある刑事の引退前の最後の10日を描く映画なのだが、あまりにだれる演出に爆睡してしまい、ファビーノが車で最後の挨拶をしているところ以外は記憶になし。

3本目にアン・ホイの新作ドキュメンタリー『Elegies』。香港、台湾の詩人たちへのインタビューを通して、ホイがずっと魅せられてきた詩学の歴史と、香港・台湾の歴史が交錯した史的アプローチ。素朴にとても勉強になり、香港におけるパウル・ツェランの受容の高さを知る。もっと香港の詩人について知りたくなり、邦訳でも英訳でも構わないので彼らの詩を読んでみたくなった。

4本目はビデオ・ライブラリーに移り清原惟『すべての夜を思い出す』がようやく日本映画の中で良作。東京の多摩市を舞台に、三人の女性たちの放浪が夜になって一つの形で結合するという奇跡を描く。トラベリングを過剰に行わなくても、人の動きを丁寧にとれば映画は運動を持つ。PFFスカラシップ作品は毎度クオリテティーが高いが、清原の新作は別格のクオリティーの高さ。日本での早期公開を願うばかり。

そして実質の私のクロージング作品はCGV Stariumでの、大傑作アンゲラ・シャーネレク『Music』(再見)。すでにベルリン国際映画祭報告で記している通りなのだが、オンライン試写ではなく韓国随一の大スクリーンで見てその真価を改めて理解することが出来る。オイディプス王を翻案しながらも、死が蔓延するこの世の中に向かって、蜂起の身振り=政治的抵抗をわき起こすことこそが映画の意義なのであるのだと再確認させてくれた。こうして私のスクリーンでの釜山国際映画祭参加は終了した。

 

十日目

帰国する日であったため、ホテルをチェックアウトし、受賞結果を確認したら、まさかのNew Curents部門で森達也『福田村事件』が受賞していたので、オンラインでパラパラ見たのだが、作品のテーマは重要なのに要所要所に見られる女性差別的な部分にゲンナリした。プレスセンターに行こうとすると警備員が通行を止めてきたので押し問答となり、責任者が来て警備員の勘違いを詫びるといったことも。ということで、最後はプレスセンターで少し仕事をして釜山港に向かい、博多行きの夜行フェリーで日本に帰国したのであった。

総評

やはり釜山国際映画祭の規模は本当に大きい。これで予算が減ったというので驚きなのだが、国を挙げて映画産業を振興しようとする考えが素晴らしい(逆に今保守化によって文化事業への予算が減らされているという。連帯して立ち向かう必要がある)。日本も釜山映画祭を見習うべきであると言える。

そしてやはり印象的なのは、観客の8割くらいは20代であるということである。学生向けのパス(シネフィルパス)を発行しているのもあるが、若い人に映画を楽しんでもらおうという政策をとっていることが最大の理由だろう(例えば映画代が800円くらいに設定されているなど)。美術館も入場料がタダであるなど、若い人が文化を楽しむことが出来る素地が韓国では作られている。この素地を日本でも作る必要がある。

学生ボランティアもスタッフもみな若く、活気に満ち溢れていることが印象的だった。東京国際映画祭も当日の学生料金を500円にするなど、策は練っているが、やはり大胆な政策をとるためには国の援助が必要である。文化にお金を出さない国は発展しない。釜山は、若い人こそがこれからの社会を担う存在なのだということを理解している。東京国際映画祭の観客の老齢化を食い止めるためには、釜山をモデルケースにするのが一番であると感じさせられた。

 

(参考:5点満点での星取)

Because I hate Korea(オープニング・開幕作品): 2.5

Green Night(ハン・シュアイ):1.0

Do not expect too much from the end of the world(ラドゥ・ジュデ): 4.5

The Last Summer(カトリーヌ・ブレイヤ): 4.5

A brighter tomorrow:(ナンニ・モレッティ)3.5

Youth(ワン・ビン): 3.0

The Beast(ベルトラン・ボネロ):4.0

Past Lives(セリーヌ・ウォン):1.0

In our day(ホン・サンス):3.0(+0.5)

Pictures of the Ghosts(クレベール・メンドンサ・フィリーオ):2.0

Dogman(リュック・ベッソン):1.5

Here(バス・デヴォス):4.0

The Plough(フィリップ・ガレル):2.0

Following the sound(彼方のうた, 杉田協士):2.5

Menu Plaisir Les Troisgro(フレデリック・ワイズマン):4.0

Close your eyes(ビクトル・エリセ):5.0(満点)

On the Adament(アダマン号に乗って、ニコラ・フィリベール):1.5

Anatomy of fall(ジュスティーヌ・トリエ):2.0

About dry grasses(ヌリ・ビルケ・ジェイラン):2.5

Moro(ブリランテ・メンドーサ):2.0

Critical Zone(アリ・アフマザデ):1.0

Poor Things(哀れなるものたち、ヨルゴス・ランティモス):1.5

The Shadowless Tower(チャン・リュル):3.0

Kyrie(キリエのうた、岩井俊二):0.5

Evil does not exist(悪は存在しない、濱口竜介):1.5

Promised Land(ニコライ・アーセル):2.5

The Killer(デヴィッド・フィンチャー):4.0

Eureka(リサンドロ・アロンソ):3.5

The Movie emperor(ニン・ハオ:閉幕作品):1.0

The Last night pf Amore(アンドレア・ディ・ステファノ):1.0

Elegies(アン・ホイ):3.5

Remember All Night(すべての夜を思い出す,清原惟):3.0

Music(アンゲラ・シャーネレク:クロージング):4.5

September 1923(福田村事件、森達也):1.5

 

(映画研究・表象文化論