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広島大学文化サークル連合の公式オンラインジャーナルです。

Skipシティ国際Dシネマ映画祭2024『ミシェル・ゴンドリー DO IT YOURSELF!』(フランソワ・ネメタ監督)

埼玉県川口市には、SkipCityという大規模な映像関連施設がある。日本屈指の映像ホール、NHKの番組をアーカイブした施設、映像博物館など、映像を志す人なら一度は訪れるべき施設である。
そこでは毎年7月に、若手映画人の登竜門たるSkipシティ国際Dシネマ映画祭が開催されている。本報告は、本映画際国際コンペティション部門から専門記者が重要だと思った作品を1作品ピックアップしてレポートしたものである。


・フランソワ・ネメタ『ミシェル・ゴンドリーDO IT YOURSELF!』分析

フランソワ・ネメタ『ミシェル・ゴンドリーDO IT YOURSELF!』という作品ほど、コンペティションに良い意味でふさわしくない映画はないだろう。なぜなら、この作品は長年の助手であった監督によるシネアストにして友人ミシェル・ゴンドリーの記録であり、またミシェル・ゴンドリーという作家を再考するためにはきわめて適切な映画作品になっているからである。映画史家ベルナール・エイゼンシッツが、ジャン=リュック・ゴダール『イメージの本』のスペシャル・パルムドール受賞に際して語ったことを思い出してみよう。「映画祭の賞には政治的な問題が絡んでいますから、私は一切興味ありません。(中略)ゴダールにあのような賞を贈るよりも、彼の全仕事に対する功労賞を送るべきだったのではないでしょうか。ゴダールが切り拓いたことによって、映画作りが自由になった人は数多く存在します」(2018)。ネメタによる本作品は、ミシェル・ゴンドリーの映画作りによる自由な精神を再考することを目的にしているのだから、なおさら賞などという「政治的な」問題とは無縁でなければならないのではないのだろうか(実際この映画はベネチア国際映画祭でワールドプレミアされたが、本作品はヴェニス・クラシック部門という映画史に残る重要な作家たちの意義を振り返るための部門で上映されたことを忘れてはならない)。

ミシェル・ゴンドリー DO IT YOURSELF!』(フランソワ・ネメタ監督)

 

ミシェル・ゴンドリーは、実に多様なバックグラウンドを持った作家である。音楽活動・ビデオ、デジタルシネマ、現代アート、そして文学。ウィウィというバンドのドラマーとしてキャリアを積んだ男は、予算不足が故に自らが手掛けることになったミュージック・ビデオ作品で頭角を現すようになる。ビョークケミカル・ブラザーズダフト・パンクカイリー・ミノーグ…彼が手掛けたMVについては実際の映像を見ればよいだろう。その中で彼は、デジタルビデオというメディアがいかに大衆に開きうるかを技法的にそして社会学的に思考し続けた。この思考を通して彼はマスメディアの寵児となっていったが、それでもやはり一つの伝統が彼の心を蝕むことになる。こうして彼は、映画という権威に対して自らの手法を試すという長きにわたる旅を始めることになる。

しかしながら、彼の映画作業は順風満帆といえるものではないと言わざるを得ない。MVというバックグラウンドをもつ彼の映画制作手法は、『エターナル・サンシャイン』(2004)といった栄誉を得た作品をもってしても、しばしば批評家たちによって批判にさらされてきたからである(『グリーン・ホーネット』(2011)が公開された当時の悪罵に満ちた批評を思い出していただければ容易に理解できるだろう)。だが、ミシェル・ゴンドリーは「解決」を模索する手を緩めることはなかった。その中で、あくまで仮説にすぎないが、ゴンドリーは「ドキュメンタリー」という手法に一つの可能性を見出したのではないのだろうか。これはネメタによる本作品が示していることではあるが、ミシェル・ゴンドリーは「Making of」を深く愛した人物である。つまり、どのように自らの映画が作られてきたかを明かしてしまうのである。ゴンドリーはこう示してくれるのかもしれない、つまり「映画は現実の試行錯誤を繰り返すことによって成立する」芸術であると。オムニバス映画『TOKYO!』(2008)のメイキングを思い出してみてほしい。レオス・カラックスポン・ジュノといった派手な演出を好む映画監督に並んだゴンドリーの作品は、東京の日常を描いた「地味」な作品であることは否めない。だが、七字幸久によって手がかけられたメイキングを見てみたら、想像を絶するほどの完璧主義を求めて「解決」を模索するゴンドリーの姿を目撃することができるのだ。ゴンドリーは、ドキュメンタリーを通して「映画の可能性」を明確な形で示そうと努める映画監督なのだと言える。そしてそれは他の映画作品にも言えるのではないのだろうか?例えば『僕らのミライへ逆回転』(2008)のラストシーンを思い出してみれば理解できるかもしれない。観客に自らの映像を見せるという手法は1960年代のドキュメンタリー映画運動「シネマ・ヴェリテ」運動の第二次段階を彷彿とさせる。観客たちが議論することで映像の可読性を追い求める本運動の理念は、ゴンドリーの映画制作にも引き継がれているのではないのだろうか?だからこそ、ゴンドリーは『背の高い男は幸せ?』(2013)で、自らのお家芸ともいえるアニメーションでもドキュメンタリーというフォルムを模索したのではないのだろうか。そしてそれは、近年の自伝という形式をとった二つの作品にも通じているのだ。ゴンドリーがドキュメンタリーという「解決」法を獲得していく様を、ネメタのドキュメンタリーは見事に明らかにしていく。

ミシェル・ゴンドリー DO IT YOURSELF!』(フランソワ・ネメタ監督)

だが、同時にこの映画は一つの問題をも抱えているのかもしれない。本作品の中で、ゴンドリーはフランス語でいうところの「作家主義」(Politique de l‘auteurs)に拒もうとしてきたことを語っている。そして、ネメタもナレーションでそのことを強調している。にも関わらず、本作品は逆説的に「ドキュメンタリー」という形式が一つの統一点となって、ゴンドリーの「作家主義」を確固なものにしてしまったのである。これは、ドキュメンタリーという形式が持ちうる「解決」法であり、本作品がはらむ矛盾でもありうるのだ。ウィウィのファンクラブから長年助監督として務めた監督の演出は、どんなにポップでキャッチ―なものでありながらも作家の神話形成から逃れることはできないのである(言い換えれば、適切な距離感を保つことができていないのかもしれない)。だからこそ、本作品にとって一番重要なのは競争にかけられることではなく、ミシェル・ゴンドリーという作家の回顧の場を作ることであり、「解決」の着地点である一つの自伝的作品『The Book of solutions』(2023)をともに上映することではなかったのだろうかと思わずにはいられない。

The Book of Solutions(ミシェル・ゴンドリー監督)

小城大知(映画研究・表象文化論