年に2回(8月と12月)、東京ビッグサイトにて大規模に開催されるコミックマーケットは、新型コロナウイルス感染拡大下における人数制限の時期を経て、今回2日間で例年規模と同水準である30万人が来場し、大きな盛り上がりを見せた。本記事は、C105の取材を通し、そのような同人活動から芸術の意義を再考することを目的としたものである。
1.村田實の『路上の霊魂』(1925)が2024年12月に広島市の映像文化ライブラリーで上映されるという報に接したとき、ある考えが不意に浮かんだ。それは、あらゆる芸術が「同人」的なものから出発しているのではないか、ということである。『路上の霊魂』に主演した演劇作家の小山内薫は、1924年(大正13年)、ドイツから帰国した土方与志と共に、新劇最初の有形劇場である築地小劇場を創設した。この劇場は、小山内、土方を中心に、和田精、汐見洋、友田恭助、浅利鶴雄の六人の同人によって設立され、新劇運動における演出家という職能を確立する契機となったことは周知の事実である。裏を返せば、こうした演劇の職能化は、同人運動なくしては成立し得なかったといえる。映画においても同様の事例が見られる。例えば、ポルトガルの映画作家であり、世界最高齢の映画作家とも言われたマノエル・ド・オリヴェイラの映画作業は、同人的なドキュメンタリーの失敗と、それと並行して行われた工場経営という同人的なプロセスを抜きにしては語れない。オリヴェイラが電球製造事業を後継者に継承し、映画制作に専念するのは1970年代以降であり、これはサラザール独裁政権の崩壊と時期を同じくする。このように、学術的に評価されるオリヴェイラ像は、職能としての映画作家としての姿に限られている。
2.つまり、映画を受容するという行為において、映画批評家アンドレ・バザンを中心とした「オブジェクティフ49」運動や『カイエ・デュ・シネマ』の創刊、さらにはジャック・ドニオル=ヴァルクローズらによる『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』運動、モーリス・シェレール(エリック・ロメール)が主催した「シネクラブ・デュ・カルチェ・ラタン」などは、れっきとした同人運動であった。また、カンヌやベネチアといった国際映画祭の草創期における枠組みも、同人活動的な文脈の中で構築されたものであることを見過ごしてはならない。ここで、バザンがアラン・レネ、クリス・マルケルら左岸派の映画作家と交流を深めた場の一つである「民衆と文化(Peuple et Culture)」の理念を思い起こしてみたい。それは、質の高い作品を一般大衆に紹介し、解説することで、大衆の映画に対する要求をより厳格なものにし、単なる商業映画では満足しなくなることを目指すという考え方であった。バザンたちにとって、文化とは大衆を解放するための手段だったのである。二度の世界大戦を経て、映画はプロパガンダの手法を取り入れるだけでなく、プロパガンダに対抗する教育的意義に立ち返る必要があった。こうした動きの中で、多くの書き手が現れ、制作という実践が生まれ、批評と制作の両立によって、ヌーヴェルヴァーグやネオ・レアリズモ、映画芸術運動といった映画史の新たな展開が切り開かれていったのである。
3.コミックマーケットは、1975年12月21日、まんが批評集団「迷宮'75」企画・主催のもと、旧日本消防会館ビル内の会議室を借りて32サークルが出展し、参加者約700人で産声を上げたが、これは既存のまんが体制への疑義を呈するマニフェスト的なあり方だった。同人活動が集団作業でなければならなかった理由は、こうした政治的なアレゴリーに基づいているからである。つまり、コミケットは運動体としての組織拡大と表現の政治という二つの軸に基づいた闘争的な性格を持っているがゆえに、すべてが「参加者(アンガジュマン)」でなければならないのである。こうした運動が50年続いているということは、同時に党派的な闘争をも生み出してきたことをも意味する。2度にわたる理念の変化というのは、こうした闘争の一つの結果であり、また闘争に際して取られた一つの選択でもあった。結果として現代のコミケットは、同人活動の場でもありながら、企業(産業)という商業との結合という形で両者が融和した形で併存していると言えるだろう。
4.映画の同人活動は近年衰退傾向にあるが(そもそも書き手が映画史の文脈を理解していないのだから、こうした衰退は起こるべくして起こっている)、学術研究者による同人活動は、『南海』や『シネ砦』といった雑誌に見られるようにまだ力強く残されている。しかしながら、同人活動から研究者へと転身した事例を考えるならば、コミケットではアルジェント研究会(東ホール5 ム24b)が代表的だと言える。20年を迎えたこの研究会は、同人的な知の拡大によって学術研究と映画祭やイベントの開催という実践的なあり方をきれいに両立させた見事なモデルケースである。しかしながら、映画史と同人活動の間には依然として大きな分断が存在している。そのため、C105においても、映画を紹介する冊子を販売するサークルの中に、映画史の文脈を理解していない例が散見される現状がある。この事実は、映画同人活動の課題を浮き彫りにしている。
5.同時に、同人活動に必要なのは一種の狂気であるともいえるのかもしれない。この狂気は、大衆の評価にとらわれないアニメーション映画への偏執的な愛情に象徴される。例えば、2024年度には、『トラぺジウム』(篠原正寛)、『数分間のエールを』(ぽぷりか)、『きみの色』(山田尚子)といった、オリジナリティにあふれるアニメーション映画作品の同人誌が、いわば「鈍器化」する現象が見られた。これらの同人誌は、作家たちが新たなオリジナル作品を生み出す動きに連帯する試みとも解釈できる(ただし『トラペジウム』はこの動きには該当しない)。ここで売買されているのは、単なる情報や解説ではなく、作品への狂気ともいえる情熱や深い愛そのものである。この現象は、サークルの数が多いジャンルとは対照的でありながら、そこに共通する特異な喝采が存在していることを示しているのかもしれない。
6.まとめてみると、同人活動とはドゥルーズが示唆する「芸術=抵抗」の図式を、最もラディカルな形で体現しているのかもしれない。この点は、企業ブースの減退ぶりからもよく理解できる。企業は、もはやAnimeJapanやTIFFCOMといったビジネスマーケットの場でのみ、その職能を発揮できる状況に追い込まれている。たとえばAnimeJapanのブースにおいて、プレスは単なるプレスであり、入場者は顧客でしかない。こうしたイベント及びマーケットは商業的な役割のみに限定されている。ただ一方で、コミケットにおいても、商業主義がかろうじて職能として残されている点に一つの矛盾が生じている。この矛盾を象徴的に示すのが、西ホールの構造である。西ホールは、商業主義と同人活動という対立軸が明確に可視化される、上下の階層闘争の熾烈な現場となっている。こうした中で、中間的な役割を果たすのがコスプレである。コスプレは、同人活動の一部でありながら、同時に商業的な身体への欲望を喚起する場でもある。しかしながら、資本主義社会における身体的欲望は、結局のところ商業主義へのフェティシズムに他ならない。これこそが、ローラ・マルヴィが論じた「視覚的快楽」のパンドラの箱を、より生々しい形で再開封する行為に他ならないのである。
(小城大知:映画研究、表象文化論)