Re:Public on Web

広島大学文化サークル連合の公式オンラインジャーナルです。

文芸部新歓企画の報告①

新歓企画①として「多喜二を読む」を開催しました。スライドと蟹工船の気に入った記述を紹介します。

 

drive.google.com

以下は『蟹工船』からの引用と発表者のコメントです

「士官や船長や監督の話だけれどもな、今度ロシアの領海へこつそり潜入して漁をするそうだど。それで駆逐艦がしつきりなしに、側にいて番をしてくれるそうだ--大部、コレやつてるらしいな。(拇指と人差指で円くしてみせた)」
「皆の話を聞いていると、金がそのままゴロゴロ転がつているようなカムサッカや北樺太など、この辺一帯を行く行くはどうしても日本のものにするそうだ。日本のアレ(※戦争)は支那満洲ばかりでなしに、こつちの方面も大切だつて云うんだ。それにはここの会社が三菱などと一緒になつて、政府をウマクつッついているらしい。今度社長が代議士になれば、もつとそれをドンドンやるようだど」
……
「俺初めて聞いて吃驚したんだけれどもな、今迄の日本のどの戦争でも、本当は--底の底を割つてみれば、みんな二人か三人の金持の(そのかわり大金持の)指図で、動機(きっかけ)だけは色々にこじつけて起こしたもんだとよ。何んしろ見込のある場所を手に入れたくて、手に入れたくてパタパタしてるんだそうだからな、そいつ等は。--危いそうだ」

 

→戦争の本質を喝破している。労働者の権益のため、国益を守るため、と言われているが本質は資本家の利益=資源や市場のために起こされるのが戦争であり、そこに動員されるのはいつも労働者だということ。今も変わらない。ロシアは東ウクライナの住民保護をかかげてウクライナに侵攻した。太平洋戦争も国益大東亜共栄圏を守るためと言われて始まった。

 

「僕はお経は知らない。お経あげて山田君の霊を慰めてやることは出来ない。然し僕はよく考えて、こう思うんです。山田君はどんなに死にたくなかつたべか、とな。--イヤ、本当のことを云えば、どんなに殺されたくなかつたか、と。確かに山田君は殺されたのです」
聞いている者達は、抑えられたように静かになつた。
「では、誰が殺したか? --云わなくたつて分つているべよ! 僕はお経でもつて、山田君の霊を慰めてやることは出来ない。然し僕等は、山田君を殺したものの仇をとることによつて、とることによつて、山田君を慰めてやることが出来るのだ。--この事を、今こそ、山田君の霊に僕等は誓わなければならないと思う……」


「然し、こういうようなことは、調子よく跳ね上がつた空元気だけの言葉ではなかつた。それは今迄「屈従」しか知らなかつた漁夫を、全く思いがけずに背から、とてつもない力で突きのめした。突きのめされて、漁夫は初め戸惑いをしたようにウロウロした。それが知られずにいた自分の力だ、ということを知らずに。
--そんなことが、「俺達に」出来るんだろうか? 然し成る程出来るんだ。
そう分ると、今度は不思議な魅力になつて、反抗的な気持が皆の心に喰い込んで行つた。今迄、残酷極まる労働で搾り抜かれていた事が、かえつて其の為には此の上ない良い地盤だつた。--こうなれば、監督も糞もあつたものではない! 皆愉快がつた。一旦この気持をつかむと、不意に、懐中電灯を差しつけられたように、自分達の蛆虫そのままの生活がアリアリと見えてきた」

 

蟹工船は、小説としての結末はストに軍隊が介入する(敗北する)ものとなっていますが、労働者がたんなる無力な存在ではなく、生き生きと闘いに立ち上がる様子をあらわしています。2008年リーマンショック時の「蟹工船ブーム」から15年、多喜二の没後90年、そして世界戦争の足音が聞こえている今こそ、一読/再読の価値はあるのではないでしょうか。