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広島大学文化サークル連合の公式オンラインジャーナルです。

【映研】『万引き家族』感想

 年金、倒産寸前のクリーニング屋でのパート、土方、JKリフレ、万引き、そして親に捨てられた子供。必要に迫られてともに暮らす人々に、絆と言えるものがあるか、家族や社会とは何なのか問いかける作品。

 「必要に迫られる」ということが、すぐには人を追い込むものではないものの、いつでも崩れうる危ういものであり、逆にだからこそ人をつなぎとめていることの不思議さ。その不安定な美しさが終始、淡々と展開されている。

 現在の社会の空気感を反映してか、こうした「必要に迫られる」ことの中身を鋭く描く作品は、近年増えているように思う。自分が最もそのことを実感したのは『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の登場である。これまでのガンダムシリーズの主人公たちは、主に戦争に「巻き込まれる」という形で、敵と戦う「必要に迫られ」てきた。「迫ってくる必要」とは、日常とは乖離したものであった。しかし『オルフェンズ』の主人公たちは底辺の環境で育ち、その環境ゆえ「必要に迫られて」少年兵として生きているところから話が始まる。日常が戦う「必要を迫る」のである。戦う理由が非日常ではなく日常にある。『オルフェンズ』は、その日常をともに生きる仲間が、不安定に支えあって前に進む物語。万引き家族と通底する美しさである。

 社会から捨てられた人々が「必要に迫られて」ともに生きる。しかし、社会は捨てられているものを拾うことを、万引き=ささやかな盗みをも許容しない。そもそも捨てられている人々が寄り添いあうこと自体が犯罪として扱われる。『オルフェンズ』はこの枠組みを、武力をもってぶち壊そうとした。『万引き家族』にはもちろんそのようなものはない。しかし、いずれにせよ寄り添いあって生きる以外に答えはない。

 きしくも、現在全国で順次公開中のラウル・ペック監督『マルクス・エンゲルス』には、枯枝を拾い、暖をとることが盗みだという「木材窃盗取締法」ができ、「人よりも(地主の)木」という在り方に、怒りをもって立ち上がったマルクスの姿が描かれている。そもそも、「必要に迫られて」盗まなければならない状況自体が不当なのだ。『レ・ミゼラブル』の始まりも「必要に迫られて」パンを盗んだことが罪とされるところから始まる。

いずれ革命に至るこれらの物語と、『万引き家族』は通底しているように思う。捨てられた人々にとって「生きることが罪」とされる状況が現在だ。しかし、往年の革命が示すように、「迫られる必要」の質が変わり、「闘うことが生きること」となる日は近いのではないだろうか。『万引き家族』のクライマックス、静かに愛と怒りをもって真理を語る「母」の姿を見て、そう思った。捨てられたものを拾い返さねば、ならないのだ。